無呼吸

自分をちっぽけだと思っている人がもがきながらも書く日記みたいなもの

Happy is Journey, we don't have to wait until the End to be Happy!

こう書くのは、照れくさいけど今少しずつ自分の色んな面を自分の一部として受けいれはじめている。嫌いなところも、どうしようもなく憎んでたところも、どうしようもなく殺したかったところも、少しづつ受け止めている。

私には絶対ないと思っていた愛や友情や他人からのやさしさがあるってわかったから。私は自分のことを出来損ないの意気地なしの無責任の言われたことを直さない人の気持ちがわからないダメな人間だとずっとそう思っていた。

だからいつの間にか私は自分自身に幸せになる資格がないという烙印を押していた。

頭の中で何回も自分を殺した。いつも寝る前ベッドに潜って、自分の胸にナイフを突きたてていた。

母から私がダメな人間ということを否定されたときは正直参った。

だって、その時は絶対、必ず、母の影は私の心に沁みついている気がしていたから。呪いのように、何も考えられなくする。母自身がそれを笑って否定すぎるのは無責任すぎるのではないか?と、そう思ったのだ。

 

今は、昔の影にとらわれることはばかばかしいと思う。ただの幻想ではないか。過去の自分を否定をするつもりはない。ただ今は今の私の良いところも悪いところもひっくるめて受け入れてくれる人たちがいるから、昔のことにこだわんなくてもいいんじゃないかと思う。

 

ちょっとずつ、他人のやさしさを感じるようになった。なんで人が電話をかけるのか、なんで友達がいるのか、なんで友達と遊ぶのか、なんで一緒に出掛けるのか、なんで付き合うのか、なんで愛し合うのか、なんで家族がいるのか、なんで絆や仲間や友達や繋がりっていう言葉があるのかわかるような気がしてきた。

 

勉強はやっぱり大変だし、怖いし、やりたくないって気持ちはある。けど、やりたくないとか怖いって気持ちがあるのはみんなおんなじなんだと思う。ぎゅって踏ん張れるかなんだと思う。

私は人よりもあきらめやすいから、他人をいっぱい頼ろう。少し遠慮しちゃうけど、迷惑かなってそんなの考えない。私は人よりもこころが折れやすいから、何回も挑戦しよう。あきらめた分だけ何回も挑戦しよう。できないことは、いつかはできるようになるからできることからやっていこう。何回でも折れていいから、何回でも挑戦しよう。挑戦できる回数に限界はないんだから。自分次第なんだって。

後理由を作るのはやめよう。やらなかったからできないっていうのは最低な自分の傷つけ方だ。

 

いつも正しい道を探していたけど、”正しい”なんて言葉は安定剤でしかないんだ。

だから、私は私が一番幸せになる道を選びたいよ。うれしかったことを言える日にしたい。心に空っぽを感じながら寝るんじゃなくて、うれしさや幸せで心を包みながら眠りたい。

8月31日 今日は久しぶり図書館にいった。昼食を食べた後だったけど、荷物をリュックに詰めて図書館へ行った。友達にあった。うれしかった。昼食は気になる人がテーブルに来てくれて一緒に食べることができた。緊張した。グループ課題が終わった。仲間がほめてくれてくれて、やってよかったと思った。ママがつらいことを聞いてくれた。さみしさが少し減った。

 

昔の投稿は消さないでおこう。全部私なんだし。私を否定はしたくない。